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本多 忠直(ほんだ ただなお)は、三河岡崎藩の第6代(最後)の藩主。忠勝系本多家宗家16代。 == 生涯 == 天保15年(1844年)、信濃小諸藩の第9代藩主牧野康哉の五男として生まれる。慶応3年(1867年)10月25日、岡崎藩の第5代藩主本多忠民の養子忠肇が早世したため、代わって養嗣子となる。幕末期には忠民と共に協力して藩政を行なった。慶応4年(1868年)3月12日、養父忠民に代わって上京し、新政府に恭順の意思を示した。4月には駿府城の警備を務めている。 明治2年(1869年)1月、再び上洛する。2月10日、養父忠民の隠居により家督を継ぎ、従五位下・中務大輔に叙位・任官する。2月17日、和宮親子内親王邸の警備を命じられる。6月には版籍奉還で岡崎藩知事に任じられた。その後は貧民救済、允文館・允武館創設による文武の奨励に努めている。明治4年(1871年)7月の廃藩置県で藩知事を免職された。 明治5年(1872年)5月からはヨーロッパへ留学し、明治11年(1878年)11月に帰国する。明治13年(1880年)4月29日、東京都森川邸で死去した。享年37。本多家家督は4代藩主本多忠考の長男忠胤の子の忠敬が継いでいる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「本多忠直 (三河国岡崎藩主)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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